年末は姫路に帰省し、
家族と幼稚園時代からの幼なじみと過ごした。
幼なじみももう3児の母だなんて!
せっかくなので、この幼なじみとの思い出をすこし。
高校時代、思春期という時期を迎えた時、
私は猛烈に何者かになりたいと願っていた。
一方で、学校や大人や親や恋人や将来やこの町や社会、
がとてもつまらないと感じていて、
進路を問われるたびに絶望していた。
何者かになりたくて、でも何者になりたいのかよくわからなくて、
いつもトゲトゲしていたようなそんな時代。
幼馴染とは幼稚園から一緒で、中学までは部活も一緒で、
家族よりも一緒に過ごした時間が長かったのではないかと思う。
大人になりかけのまだ少女だった私たちは、
空気を読むことが苦手で、周りの期待にうまく答えられなくて
家庭環境がそれぞれ複雑で、息苦しくて、居場所がなくて、
代わり映えのない日常から逃げ出したくて逃げ出したくて、
そうだ、冒険をしよう!と、
当時流行っていたテレビ「電波少年」のマネをして
ヒッチハイクの旅に出た。
大きなスケッチブックに行き先を書いて、
一人が頭上にめいっぱいカラダを伸ばしてかかげる。
もう一人はめいっぱい道路に腕を伸ばして親指を上げる。
気がついた車やトラックが、
15メートルくらい先で止まってくれる。
やった!
私たちは日記帳やペン、読めない地図、雨カッパ、
当時好きだったアーティストのゆずのCDが入っている
リュックとスケッチブックを担いでそこまで駆けていく。
乗せてくれた大人の家族の話や仕事の話を聞いたりしながら、
人生の一部分を垣間見る。
なんだ世の中には面白い大人もいるんだとわかった。
宿もお金もないので、泊めてもらえませんか?
と民家を訪ねたりもした。
人に恵まれて野宿することは1日もなく過ごすことができた。
世の中にはいざとなったら
助けを求めるという方法があるんだとわかった。
途中、食料が尽きて倒れそうになったりはしたけれど、
危ないことは何一つなかったのはただただ運が良かった。
毎日ドキドキ、ワクワクするそんな旅をして、
絶望から希望が見えて、「生きたい」という想いが強くなったような、
そんな感覚を得て帰路につく。3週間程度の旅だった。
帰ったら、幼なじみの祖母が泣いていて、
私たちが無事であることを、
毎日毎日、仏壇に向かって祈っていたって聞いて、
なんだか申し訳なく思った。
母は何もなかったように迎えた。
また、いつも通りの日常が始まった。
だから、帰ったその日から
あの冒険が夢の中だったような気がする。
だけど、私の中で、私たちの中で何かが変わっていた。
「自信」という言葉がしっくりくるのかわからないけれど、
何があっても、逆に何もなくても大丈夫。
未来は自分で選ぶ。自分の人生を生きる。
体験で実感したケセラセラが、選択をしなければならない時に
いつも私の背中を押してくれているような、そんな気がしている。
たくさんの人にお世話になった分、
今度は自分から人の役に立てることを模索しながら、
見たい世界を見るために進みたいと思っている。
1度きりの人生を、胸を張って進め!
永田京子